Don't hesitate to hesitate.

ただの記録

true tears~世界革命戦争の前夜に~

true tears の登場人物のほとんどは最低である。乃絵はメンヘラだし、比呂美は性格悪い根暗だし、眞一郎に至っては地主のおぼっちゃんのくせに女に対しておせっかいで絵本とか書いちゃってる痛いクズである。

 

それと同時にこのアニメは僕が一番好きな作品であり、つらいとき何度も見返しては勇気付けられてきた。僕が好きなのは、子供時代の夏休み、比呂美が地面に座り込み、泣きながら眞一郎の浴衣の袖を掴んで離さないシーンだ。このシーン、比呂美がかわいくなかったら、あっという間に笑劇に変貌する。もちろんすべての恋愛モノはかわいい→不細工に変わればファルスと化す。でもこのシーンはそれがとてもシリアスにつきつけられるのだ。理由はわからない。でもそれが好きだ。

こころ

状況が変化し立場が逆転してしまうとき。今まで話を聞いてくれなかった人が聞いてくれなくなり、敬意を抱かれる謂われを失ってしまったとき。そのなかでたくましく生きること。

わたしはエイズ

とうごう とうごう とうごうしっちょう進行中

とうごう とうごうしっちょう サバイバル

 

くびつり くびつりにんげん sing a song

案ずることはない きみは くびつりにんげん

 

わたし わたしはエイズ

そしてかなしき わたしはエイズ

時計の針が逆周しても わかんない

 

おっぱい たこのおっぱい 乳首吸盤

おっぱい たこのおっぱい 乳首吸盤

乳首に吸われた 吸いたかったのに

おかげでエイズ そう、わたしはエイズ

 

ねえ もういちど 愛が許されるなら

しらないふりをして きみのことを想っていいか

扇風機しかないこの部屋で

そう、きみのことを

日記

月曜の晩にふらっと街に出て、酒を飲んでしまった。鴨川沿いで1人お酒を飲んでいた女性に声をかけて、1軒飲み屋に入ってそのまま持ち帰った。生理とかクラミジアとかブラックワードが飛び交っていたが、3回やってしまい、翌日はひたすら眠った(お昼ぐらいに女は帰った)。夕方ぐらいに起きて、ろくにご飯を食べていないこと、この前親に痩せたことを心配されたことを思い出したが、フラグラ?に牛乳をかけたものを食べてそれで済ませてしまった。図書館に行き、前に別の女に進められた本と、バロウズを借りた。三条のサンマルクカフェでコーヒーを飲みながら、本を読んだ。

 

京都に来て月1のペースで女を家に連れ込み、その後はよく眠り賢者モードとなってコーヒーと読書と物思いにふける。僕は退屈な男だ。

 

そしてこんな夢。男数人と女数人が同じ部屋で眠る。暗闇の中、僕の二つとなりで、僕の職場の上司が冷酷なまでに機械的に女とセックスをしている。眠りの中で寝たふりをする僕。上司に対する嫉妬、自分に対する嫌悪、あるいは上司は限りなく自分であるかもしれないという謎の矛盾。

 

しばらく仕事やすみたいです笑

時間のないホテル

いかに自分を納得させられるかが重要だ。ひたすらテトリスをやり続けることによってなのか、女とやりまくることによってなのか、人それぞれではあるだろうが、確かにいえることは、それを行い多少なりとも腑に落ちることになるのであれば、思う存分それは追求すべきであるということだ。少なくとも腑に落ちないまま結婚してはいけない。いろいろな異性とやればいいし、自分にとっての相手の交換可能性、その逆も然り、人間に対するあきらめと自分自身に対する絶望を感じ、カオスに巻き込まれた後、その腑に落ちる瞬間がくればそれにまさる幸せは無いのだ。

 

すべての人にいい顔して生きていけると思うな。そんな人間はクズである。自分の幸せや好きになった人間の正しい幸せや、社会の中における公平性、それらを鑑みたとき、ときとして他人から嫌われざるをえないときもある。恐れてはいけない。信念ではない。公平性とはもっと事務的なものだ。僕は苛立っているのだ。

けして忘れてはいけないこと

99パーセントの人間がクズであるということ。頭のいい人間のふりをする気はさらさらない。しかしたいていの人間は頭のいい人間として振舞うことに躍起になっており、しかもそういうのに限ってまともな人間とはいえないクズである。死ねばいい。

 

 

自分が生きるためには、さっさと死ぬしかないんだよ、なにいってんだいまさら。

中国へ

相席屋にはいった。1組目の女はひどく不細工で、お腹がすいていた僕は割りきって食事に専念することにした。そのつっけんどんな態度が気に障ったせいか、30分ほどでその席は追い出され、僕たちは違う席へ移動する。そこで出会ったのが、キュートな中国人と日本の大学生で、舞い上がって酒を飲んで話したのだった。

 

そこで約束をとりつけたのは中国語を教えてもらうこと。当然その日は帰宅したが、2週間後にレッスンしてもらう約束をして、それが昨日のことだ。昨日は朝9時発の電車に乗り、カフェまで行ったのだった。

 

さて、90分ほどだべりながら勉強し、昼飯も食べず(当然誘ったが)別れたのだが、当イベントは僕の性愛生活に一石を投じるものである。今まで、はじめてあった相手とは、酒飲んでセックスするぐらいしかすることが無いと考えていたのだが、語学を教わるという別の価値を発見したのだ。実際に僕は今日、夕方まで寺めぐりをしていたが、夜家に帰って30分ほどいー、あー、さん・・・いーばい、いーちー、いーわん、等々つぶやき始め勉強をしており、自分でもこういうことをはじめてしまうということに驚いている。というのも、セックスは短期的な快楽しかないが、語学にはもちろん長期的な利便や価値があり、女との関係のなかで長期性というものを重要視するという経験をほとんどしたことがないのだ。

また、ことあるごとにラインの写真を見て、かわいいかわいいとつぶやいている。これは・・・まじほんの恋だ!ちげえねえ。

 

 

意味の無い冗談はやめておこう。もし今後問われるしたら、それは次のようなことだ。もし僕が中国語を完全にマスターしてしまったとき、僕にとって相手はまだ自明のこととして必要な存在だろうか?どんなにスタイルのいい女でも一発やってしまえば意味はなくなる。いや、性欲は3時間ぐらいに復活の可能性を秘めているからまだましかもしれない。しかし語学はそうではないのだ。