Just a memory.

ただの記録

検索語句

インターネットが開通されれば、すこし調べものをしたり、外国語を勉強したりでき、よりスマートな生活を営むことができる。忘年会を終えて明日の出社時刻まで7時間を迎えた今、少ない時間であってもと思い、パソコンの電源をいれる。検索語句は「素人 エッチ」「JK 本番」等であり、深い瞑想にひたりながら動画を見るのだった。知性であり心の安らぎである。

我女を欲するがゆえにゲスなり

やりたい。年がら年中そう考えている。正直にそう思う。以上。

3連休は上記の私の願望を達成するために、前日からリングにあがった。仕事終わってからの、繁華街で「相席屋」→「クラブ」の流れだ。ポリコレ的にはナンパが正しいのだろうが、僕にその勇気は無い。どうせ出会い、男女マッチング、結婚、結婚生活、子育て、これらすべては国家システムや大企業が用意したものであり、どうあがいても手のひらの上で踊らされているにすぎない。相席屋も以前参加した街コンも、手のひらの上感が半端なかったが、そんなことにいちいち違和感を感じていては生きていけない。違和感発生の前提そのものが間違っているのだ。

前置きが長くなった。ともかく私はまず相席屋にいったのだ。At first・・・!2人組の女性。なんとこの相席屋は女性の隣に座れるシステムなのだ!多少ふけているがそんなことはおかまいない。私は女性の隣で脚を組みジントニックを頼む。そして相手の顔をみつめ、「どこからきたの?」「今日はなにしてたの?」あまりにユニークで非常識な質問を浴びせまくった。この場合「つっけんどん」「よおしゃべる」のどちらかに大別されるのだが、幸いなるかな、今回は後者であり、どこで出身で、お兄さん関西弁素敵ですみたいな感じでのってくれた。これは・・・いける!と思いきや、次に出てきた発言は「実は・・・シンママなんです」。なんと!一瞬僕は躊躇する。しかし相手に悟られる前に、「それは大変だね。今日みたいな息抜きって絶対必要だよ」的なことをまくしたてる。「ほんとー、うれしいー、おにいさん言ってることが達観してるねぇ」的なことも言われ、調子にのった。子供が中学生という話も聞き、いったいこいついくつやねん俺もつい最近まで中学生やったで的なことを思ったりもしたが(まあ27やけど)、ラインを交換し、さあ帰るかとなり、男どもが金を払っている隙に、女ふたりはどっかいったのだった。なんでやねん。

 

ちなみにもう1カップル相手にしたのだが、つっけんどんだったので省略。続いて・・・クラブ!

 

が、今回はいまいちだった。梅田よりノリが悪かったように思う。クラブでは酔っ払って肩に腕をまわして嫌な顔されるのが面白いのだけど、十分に酔えなかったのもあり、積極的に補導寸前行為に及ぶことができなかった。だいぶ声をかけたし、ようわからん外国のねーちゃんと間接キッスをしたりもしたけど、そんなことで興奮はしない。股ぐらに手をいれるとか、ぼくがほんとうにしたいとかんがえていることはできず、不発で終わった感が否めない。そして坊主で終わったときほど、体力を消耗することはないのだ。

小田和正に対する複雑な感情より

京都に引越してきてもうすぐ1ヶ月が経とうとしている。また、その前いたところも結局ネットをつなげることなく、シェアハウス以来だから、約4ヶ月弱ぶりに自宅でネット環境が整った。

 

その間に転職が決まり、精神的な落ち着きも取り戻し、そして転職し、けしていいとはいえないかもしれないがまあまあなところでまあまあな感じで仕事をすることになった。決して給料は高くないけど、シェアハウス時のように不安定ではなく、今となってはもう忘却しそうではあるけれど、経済的保障がいかに大事であるかについて身をもって学ぶこととなった。

 

ほしいものはある。このパソコン画面は揺れ、キーボードも反応しないものが多い(現在外部取り付けを使っている)。靴がほしいし、テレビ台や、地面に置いている炊飯器もなんとかしたい。ピアノがほしいし、料理を勉強したい。欲望が途切れることはないけれど、欲望をもっていること自体が救いであり、それは今のまま順調にお金をためていけば可能であるということが、僕に心の安寧をもたらす。

 

 

苦労とは・・・苦労とは?苦労とは精神状態だ。同じ経験をしても、もたらされる精神状態は人によって違う。だから人に接するときはそのことを最大限に配慮しなければいけないし、自分自身の苦労についても、自分が違う存在であったとしたら感じないものだったかもしれないことを想像しなければいけない。

 

小田和正は、「それはずっと 出会った日から 君を愛してる ということ」一人の女をずっと愛している、ということを歌い続ける。なぜ同じことをテーマにそれだけ歌詞が書けるのか、僕には謎だ。しかもええおっさんや。しかしなぜ今日は聞いてしまうのだ!

知性

自分が正しくこの世界にあるためには、真っ直ぐ知性を伸ばすしか方法はない。強くそう信じる。

 

なにをどこまで「あえて」行うのか、裁量は本人に任される。であるがゆえ、自分のある行為があえてなのかそうでないのかについて、多くの他人は誤解するだろう。大きな歴史が誤解をとくかもしれないし、誤解され続けるかもしれない。後者の場合、待ち受けるのは孤独でしかない。

 

 

後者が約束されていたとき、自分を救ってくれるのは知性だ。時としてそれは詩であり自然であり心臓であり涙である。

 

 

今日は深い眠りにつきたい。

壊れた感情

パソコンがないせいで、自分で文章を書くことが減った。一人カラオケにいき、一時間歌った。

 

人間が壊れてしまうのを防ぐことはできない。絶対にだ。文学も歌も救うことはできない。女は一時の気の休まりになるかもしれないが、瓦解の延長線上だ。

 

 

死にたいのだ


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人間はだいたいいっしょであり、長く一緒にいない限り相手の顔を憶えることは不可能だ。ただそんな中で、時々印象に残る相手なんかもいて、そういう相手と恋愛関係になったら幸せだろうなと思う。

 

しかしたいていは他とたいして変わらない相手と結婚する。SNSの結婚お知らせツイートを見ていると、両方がなんの特徴もない顔をしている。

 

自分にとっての自分や、自分にとっての相手について。

 

この写真はすごく好き