Just a memory.

ただの記録

水曜日の晩に発熱。39℃ちょい越え。翌朝半休をとって町医者にいき、インフルエンザじゃないことを証明、薬を貰う。午後出社。その晩は40℃まで上昇し、朦朧としながら夢と現実をいききしていた。翌日38℃をきったんので出社したが、その晩また39℃までぶりかえす。つまり・・・なかなか下がってくれないのだ。

 

会社にいて電話の音をきくと、なんだか別世界に案内されたような気分になる。別世界旅行にはエネルギーが必要で、そのたびごとにしんどさを感じながら、新人なので電話には全部出た。まあ前の職場で39℃ありながら授業やってたときにくらべれば、マシかもしれない。

 

今回の懸念は長引いていること。もうすぐまるまる3日になるが、38度をなかなか下回らない(現在38℃)。夜になると39℃まであがる。しんどいっす、あはは。

 

こまめに水分をとってる。もうすぐポカリは2リットル飲みきる。口内炎ができてるような気もするが良質な水分補給が優先される。「脳炎」「肺炎」「インフルエンザ」といった単語群をネットで調べ、その概要を理解する。まあそんなことできてる時点でたいしたことないのかもしれないが。

 

 

土曜日はデートの予定だったが、断るつもりだ。好きなわけじゃないから問題があるわけじゃない。申し訳ないという気持ちはある。しかし僕はしんどいのだ。会社にはいっていますが。

あるいは余計な女の子には手を出さず、がんばって本命を探せという教示なのかもしれない。それならばよくわかる話だ。出会い系サイトをやって婚活パーティに出ればよい。論理的帰結!

 

 

すべてはくだらないと思う。なにかにこだわってる人間が全部クソに見える。現在職場はあまりに意味の無い会話が飛び交っていて、ややしんどいきらいはある。っと、これ以上は書くまい。人間は花の美しさ以外について語るべきではないのだ(そういう職場があれば本当に先鋭的で最高だと思う)。

 

それにしてももち5個食ったのはさすがにまずかっただろうか。僕はもう炭水化物の王子だ。緑黄色野菜食べたいっす。ルルでも飲もう。

 

長い間私は詩を書いていた。そのために頭が狂ったぐらいだ。けれどももっと頭のおかしなひとはある。ちょっぴりおとなしい工学博士だ。芸術工学だ。そのものが音の無い水車を眺めているとき、私はすでに甘美な蒙昧の中にある。月よりも明るいいらだちが辺りを覆うその時、私たちは口づけを交わすのだろう。

ポストモダンを生きるために

なにかひとつに魅了されたからといってそれで誰かと繋がれると思ってはいけない。むしろ逆だ。なにかについていいと評価した結果、周りの人間は興ざめして君に関心を持たなくなる。もし持ってもらえてたとしたら、君は若い女であるか、よっぽど恵まれているか、勘違い野郎か、それだけである。


何かを好きになってはいけないといってるわけじゃない。それが連帯の可能性を生まないことを前提として社会を生きよということだ。魅了されたらば救済されるべくは自分だけである。自分の好きなものを他人にもいいといってもらいたいとき、対象と自分との関係の間に、不純な思いが紛れ込んでしまっている。要は寂しいのは自分であり、他人の承認によってそれは満たされるということなのだ。ストイックに生きよ。信仰を人に勧めてはいけない。君は勝手に祈らなければいけないのだ。

この世界の片隅に

1年前はO市にいた。事件のおこる少し前だ。それを思うと僕はまた用心しなければいけないなと感じる。昨日のミスもいただけないものだった。

 

昨年度は引越しが多かった。神奈川には5ヶ月、神戸3ヶ月、芦屋3ヶ月そして京都。京都市内は大変住み心地が悪い。観光客にともない交通機関は混雑し、お店はどこもおみやげ物屋で、スーパーもレンタルビデオ屋も少ない。それでも今が一番安定している。人生は不思議だ。涙が出そうになる。

 

よく子供と話していた。中学生と話すのは面白い。だんだんそう感じるようになっていた。使命を持たないところがいい。なにより屈託の無い笑い方をする。

特にあの校舎には2年いたから、そのぶん思い入れがあったのかもしれない。100人を前に演説をしたこともある。彼らが僕や僕が関わっている社会と無縁に人生を送ることを望む。それだけだ。

 

事件があり、退職を決意し、就業後上司2人と2時間缶詰で話し、結局やめた。ごだごだもあったが、思い出したくないことである。A市に変わり、新しい上司と組んで、新しい生徒と仲良くなって電話もしまくってクソみたいにいい数字を出した。信頼も作れていた。やめると決めたあとにこうなる。人生は不思議だ。

3月4月に遊びに行った記憶はほとんどない。休みの日もよく働いていた。どうでもいいんだけど、KさんとSさんってなんか似てる。事務と人形。まあ働いて働いて、数字も出して、そんで辞めたのだ。すっきりだ。いろいろ言われたけど、最後数字に関して文句は言わせない。ボーナスにも何にもつながらない。ただの意地だ。

A市にいた2ヶ月は悪いのもではなかった。一度親が遊びにきたっけ。酒を飲んだ覚えがある。

 

 

長野へ戻る。何もしない日々が続く。いや、僕は転職のためエントリーシートを書いていたんだ。仕事で身につくものなんてありはしない。そんなことわかっているけど、でっちあげて前職のがんばりを記し、アピールを書いた。それはのちのちの面接につながっていくわけだが、陰鬱になりながらも、日々僕は飯を食って生きた。あと六本木のバーで8万ぼったくられたりもした。あの女許せん。

 

神奈川には5月いっぱいいたから、確か2社ほど面接にいったのだった。池袋と渋谷にいったのだ。池袋と渋谷だぜw 1つは内定をもらった。ネット広告の会社だった。でも辞退した。2回前の会社のひとと飲みにいった。もうしゃべりたくなかったし、語ることなんて何も無かった。でも感謝をし、ひたすらすんませんといった。最低の人間。

 

神戸へ。シェアハウス。仮に僕が80歳まで生きたとして、神戸に住んでいたことを思い出すことがあるのだろうか。3ヶ月の間にバイトを探し、授業をやりながら(といってもほとんどしてなかった)、パチンコを打ち(よくいった)、公務員試験の勉強をした。出口調査なんかもやったっけ。バイトの面接は1、2、3・・・4。そういや京都にも行ったっけ。派遣で授業に入り、神戸、芦屋、宝塚、河内長野和泉砂川とかに行った。果てしなく遠い記憶だ。交換可能な機械であること。状況によって人はまったくもって目立たない没個性的な存在になる。そのなかでたくましく生き抜くこと。一度権威を得た人間に僕は関心が無い。ある状況下において、人間は本当にどうなってしまうかわからない。そこには本物の自由と実存と混乱がある。僕が興味あるのはそれだ。

 

一度愛知でビールを飲んだこともある。金沢で「さようなら」を見たこともある。比叡山にも行ったし、37歳の女性をカラオケ屋で押し倒したこともある。何をしても物足りなく感じていた。

 

差し押さえ事件があり、芦屋へ。その間S市の試験を受け、最終まで行ったけど補欠だった。最終試験の翌日、別の試験があって、僕はまったくやる気が無かった。試験場は山の上で、駅からのバスは混んでいるし、集合時間30分前にして歩いていくことを決意した。間に合わなければそれはそれでかまわない。結果的にその試験に受かったことをきっかけに、2社ほど受け、1つにとった。自慢じゃないが狭き門だ。そんなとこふつうとおるか?と自分でも思った。

 

大和郡山にも受けたりした。あれは雨の日。その後奈良公園にいったんじゃなかったっけ。物語は錯綜する。

 

やる気が無かった9月、ハロワにいき、仕事を紹介してもらって、すぐ決まった。就職と同時に次の内定先が決まって、心苦しい思いもした。そのころからよく走り、映画も見た。筋トレもした。部屋が広いというのはすばらしいことなのだ。何度か山にも登った。よく姉姪と飯を食べに行った。有馬温泉まで歩いたりもした。

 

ここで書いていないこともある。この世界に片隅にあって、物語になることも語られることもないだろう僕の人生。すべては流れ去り忘却されるだろうし、また僕も忘却の第一人者になったりもする。

 

 

すみは・・・すみは、右腕とともに義姉の娘が消えてしまい、そしてそれらは全体ではなく一部であり象徴でありながら、本物として夢を見せる力を持っていて、であるがゆえに、戦争という夢にすがってしまいたくもなり、玉音放送で怒り狂う。

 

しかし、夢を見せる力をもった小さきもの、はかなく脆弱であるもの、僕はそれらに犯され狂い続ける。生きる力を得るのだ。

 

記録2 清水寺


清水寺の観光客は、100%中国人である。異論は認めない。中国人以外が混じっていたとしても、それは誤差であり、誤差であるということは、中国人は100%であるということである。以上。

 

中国人に限ったことではないが、観光地に求めるものはその土地を象徴しているものであり、当然写真にしやすいものである。基本お堂の中の仏像は撮影禁止であるから、仏像押しの寺、三十三間堂とかに行くインセンティブは無いのかもしれない。逆に清水寺は最高スポットだ。京都の景色を一望できるし、建物も絵になる。個性的な写真をとるのが難しいぐらいだ。

 

さて、清水寺は当然京都にあり、京都といえは平安であるのだが、建立はそれ以前である。興福寺の僧、賢心(後に延鎮と改名)は音羽山に遊びにきたときに観音の化身である修行者(行叡)とあい、自らも修行に励む。坂上田村麻呂もやってきて観音にはまってしまって、家を寄進する。その辺が始まりである。

 

平安時代は観音霊場として、縁日などは栄えたようである。興福寺延暦寺の争いに巻き込まれなんども焼失し、現在のものは徳川家光の寄進。

 

本尊は千手観音。脇侍に毘沙門天地蔵菩薩増。33年ごとに開帳の、秘仏である。誰が作ったかは定かではないらしく、ネットで調べてもよくわからない。

 

さて、今昔物語より。これは有名。

 

今は昔、忠明といふ検非違使ありけり。若男にてありける時、清水の橋殿にして、京童部といさかひをしけり。京童部、刀を抜きて、忠明を立てこめて殺さむとしければ、忠明も刀を抜きて、御堂の方ざまに逃ぐるに、御堂の東の端に、京童部あまた立ちて向かひければ、その傍にえ逃げずして、蔀(しとみ)のもとの有りけるを取りて、脇に挟みて、前の谷に躍り落つるに、蔀のもとに風しぶかれて、谷底に鳥の居るやうに、やうやく落ち入りにければ、そこより逃げて去にけり。京童部ども谷を見下ろして、あさましがりて、立ち並みて見けれども、すべきやうもなくて、やみにけりとなむ。

忠明、京童部の刀を抜きて立ち向かひける時、御堂の方に向きて、
「観音助けたまへ。」

 

と申しければ、ひとへにこれその故なりとなむ思ひける。忠明が語りけるを聞き継ぎて、かく語り伝へたるとや。

記録1 三十三間堂(蓮華王院本堂)

三十三間堂の近くに住んでいる。住所・行き先を述べる際にこの寺の名前が入って来てしまうのだが、インターネットか何かの契約時に、相手方がこの漢字を読めなかったということがあった。意外だった。三十三間堂って読めないものか。確かに知らなければ読めないかもしれない。京都の住んでいる人や京都に修学旅行に来たことがある人ばかりではないのだ。なんでもかんでも漢字が読めない人を馬鹿扱いする人間がたまにいるが、非常によくないと思う。ある漢字が読めるかどうかなんてどういう育ちをしてきたかで決まってくるし、一度知ってしまえば当然のごとく読める自分をアピールできてしまう。そしてもちろん三十三間堂が読めないやつは馬鹿なのだろう。

 

 

寺の歴史を述べるは難しい。たいてい誰かが作って、どっかで焼失して、別の時代に再建されて、どうのこうのだ。いまいち何を褒め称えればいいのか、何がポイントなのかがわからない。まあしかしよい。

 

すこしやっかいなのだが、この堂が建てられた場所はもともと別の寺院の敷地内であった。その名は法住寺(ほうじゅうじ)。

 

平安時代中期に藤原為光(ためみつ)が作った寺で、サザエさん長谷川町子菩提寺である(遺骨があるらしいっす。これうっとしい情報やな)。為光は娘と奥さんを無くしたことをきっかけにこの寺を建立し、念仏三昧の生活を送った。死後子孫が継いだが、例によって焼失、120年ほど再建されることもなかったようだ。

 

さて、時は平安末期、登場人物は白河天皇後白河天皇 - Wikipedia)である。保元の乱後白河天皇vs 崇徳天皇 勝った その後二条天皇に譲位する。)・平治の乱を経た、平安から鎌倉の激動を生きた人である。彼は院政を停止させられた悲しみから、法住寺の跡に法住寺殿を造営。当時は南殿、西殿、北殿の三御所があった。仏教に深くのめりこむ。「・・・万の仏の願よりも千手の誓いぞ頼もしき、枯れたる草木もたちまちに花咲き実なると説ひたまふ」そして千体の観音堂・蓮華王院を造営する(平清盛が寄進)。その後また院政復帰して、栄華を誇るのだが、源義仲の軍勢によって火にかけられ(法住寺合戦。義仲のクーデター)、殿は焼失、新たに法華堂が建てられ、これは長く存続した。といっても鎌倉時代に焼失し、現在のものは同時代に再建されたものである。

 

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死について

長い間僕は死を望んでいた。それはあまりに自明なことだったため、言葉にすることを忘れてしまっていた。昨日は酒を飲みすぎ、自己嫌悪と二日酔いに悩まされながら朝を迎えた。なぜかまた梅田に行き、女の子をゲットすべくパーティーにもぐりこんだ。でも女に話しかける気力が無かった。無気力なまま、手持ち無沙汰で座り込んだ。退屈だった。そしてその退屈さは、いかなるものによっても解消できないような類のものだった。そして僕は、はるか昔から一貫して抱いている願望、死について考えることになった。

 

先日女とデートした。再来週も映画を見に行く約束をした。誓ってもいいが、相手は僕に好感を抱いている。モノにしようと思えば絶対モノにできる。驕りなんかじゃない。もし一緒になったら楽しいかもしれない。なによりセックスができる。若い女ふたりとベッドにもぐりこむのはすばらしいことだ。

 

だがしかし、そのような可能性を持ちつつも、僕はなによりも死を望んでいる。永遠に朝を迎える必要がないことの気楽さに憧れている。何も憂うことはない。人間はくだらない。個人も集合もクソだ。なによりそのクソに悩まされるのが僕なのだ。情けない。本当に。

 

 

きっと僕は夢を見るだろう。

口内炎

頚部に違和感がある。痛い。血管に何かつまってるかもしれない。でネットで調べたところ、頚部リンパ腺が腫れていることに気づいた。ではなぜ。風邪はひいてない。さらに調べると、口内炎等で黴菌が傷口から入り込むことがあるそうな。現在私の左下唇に変な虫が愛の巣を作ったんじゃねーかというぐらい不気味に白い出来物があり、つまりはそういうことである。2日から出勤してる私は今日は思う存分遊ぶつもりであったが、薬局に行き口内炎パッチを買い、家でおとなしくしている。

 

口内炎ができる原因は偏食とストレスだ。ストレスが偏食を生みそれが炎症をもたらす。あるいは逆方向の矢印もあるだろう。そんなにストレスがたまっているつもりはないのだが、12月に転職をし、新しい職場で孤立奮闘しているという状況は、客観的に見たらストレスが溜まりやすいということなのかもしれない。あと野菜最近食ってない。マッチョ目指してますから。