どこにもいけない
きっと頭がおかしくなってしまっていて、どんな名医でも僕のことを治す事はできないだろう。医者にとって、治せない患者はやっかいなだけだ、葬儀屋との大きなパイプを駆使して、僕を墓送りにしてくれるだろう。けっこうなことだ。
墓標に立つ。あるいは墓標が立つ。とてもあいまいな表現だ。
「生まれ、成長し、世界を享受する楽しさを子供たちに伝え、死んでいくこと・・・それがすべてだ」僕はそういった。
「わたしにとって、すべてがすべてではないもの」彼女はそういったんだ。
はじまりはいつも2月だ。あなたにとってわたしがすべてではないように、わたしにとってわたしがすべてではない。そういも言ったのだ。
今日の日記。
靖国神社にいきました。明日は憲法記念日で、僕は右翼になりたかったので、改憲のことばかり考えていました。うそですごめんなさい。死んだほうがいいって思います。ほんとうにそう思います。
靖国神社は九段下の駅から歩いていって、鳥居をいくつかくぐっていけば本殿がある。Tシャツの右肩に日の丸をつけたおじさんが、奥さんだか彼女だか愛人だかと手をつなぎながら歩いていて、幸せになっても右翼であり続けることがありうるのだということを、初めて知った。幸せになったらみんさ左翼思想は辞めるのだけれど、右翼思想はそうではないのだ。僕は純粋だと思う。嫌中韓、いいと思う。
新聞記者になりたいな。あれ、なんだっけ、そうそう大手新聞社とかじゃなくて、どこか小さな地方の、フリーペーパーみたいな、高校生とかが作りそうなものを作る。そして辛辣な外交批判とか、官僚批判とかを繰り広げて、でも読むのは地元のおじいさんおばあさんとかだから内容まったくわからなくて、古紙回収業者がごきげんでもっていってしまうような、そんな新聞。
初体験。昨日髪を染めた。茶髪。そして今日黒に戻した。つめが黒くなったどうでもいいと思った。
茶髪に変えることによって自分の外への向き方が変わるかなと思ったけれど、何も変わらなかった。というか道をあるいていると、自分の髪が茶髪であることなんて意識しないものだ。それは何を意味しているかというと、何も意味していないということを意味しているのです。そういうことだ。
大王四神記、うちたいよ・・・それしか頭にない