Just a memory.

ただの記録

シン・ゴジラは横断する

シェアハウスは今月いっぱいでやめる。差し押さえになって引っ越すからなんだけど、もう一度したいとは思わない。理由は簡単で、夜12時をまわったあとに、鼻歌を歌いながらご飯を作ることができないからだ。

 

もうすこしほんとのことを書くと、今回の件で、同居人は果てしなく家主に怒りを感じてて、そして僕にいっしょに怒ろうと同調を求めてくる。それが果てしなくうざい。

 

怒りはもちろん最もである。しかし所詮4万ほどで1ヶ月住んでいたのだし、そういうリスクはしょうがないと思う。子供がいるわけでもない。この住まいが駄目なのであれば、次を探せばいい。自分の身ひとつぐらいなんとでもなる。ググればいくらでもシェアハウスの求人はある。でも執拗に家主の欠点をあげ、公益費に不正があるんじゃないかとか、僕にもいろいろいってくるくせに、退去をまだ決めてない。文句言ってるくせに依存しているという、ありがちな構図を踏襲してるように思う。

 

同情はする。たぶん30代後半でたぶん彼氏がいない。やたらとfacebookの書き込みも多い。なにかを批判したり、自分が語りをしてる。さみしいんだと思う。男はさみしくなったら風俗にいくなり、出会い系をやるなり、飲みまくって女の子襲ったりして、軽減する方法を持っている。そして(稼いでいるなら)いずれ結婚できるだろう、ぐらいに考えてる。生真面目な女性にはそれは難しいかもしれない。

 

 

シン・ゴジラ」を2回見た。1回はひとりで、2回目は姉姪と。思うことはあったんだけど、他のブログでもいろいろ書いてあったから、ひとつだけ。

 

ゴジラは2度目の上陸で、江ノ島を背景に鎌倉から、横浜磯子区、川崎、東京駅へと進んでいく(だいたいの記憶)。観光地→ニュータウン→工場地帯→オフィスビル&官公庁、みたいなイメージだ(かなりだいたい)。

 

僕はつい最近まで、藤沢市という、横浜とか鎌倉の隣接都市である、観光色とニュータウン色の強い町で仕事をしていたことがある。本社が別にあり、その支部みたいな感じのところで、無駄にあくせくと働いていた。ときどき全社でテレビ会議とかもやってて、本社側としては社員が勝手なことをするのではなく、成功例をモデルに数字を出してほしいみたいだった。

休日はあてもなく江ノ島や鎌倉にいった。ポケットに本だけ忍ばせて、観光客に混じってうろうろしていた。観光地は「~テレビで紹介されました!」みたいな宣伝の仕方をしてるところも多かったけど、大通りの裏みたいなところで、ちょっとした魚の定食を食べさせてくれるようなところもあって、僕はそっちを好んだ。

また、ネットを通じて何人の女の子とも出会った。覚えている限りもう少し正確な数字を書くと、横浜~小田原間にかけて、セックスに至ったのは4人、飯とかドライブだけが4人・・・んん、もうすこしいる気がするけど、まあいい。フリーター、ダンサー、主婦(寝てないよ)、正社員?、とか、とうとう。父親がいないパターンが多かったような気がするけど、基本そのへんの因果関係はどうでもいい。たいていの女とは会って飯食ってドライブに行き、鎌倉や横浜の丘陵地にある、あまりに画一的に並んだ住宅街を横目にしながら、僕はこのままホテルにいっていいもんかと考えていた。

そしてゴジラは僕のその微妙すぎる記憶を横断していった。

 

 

工場地帯へ。工場地帯らしい場所に住んだことはない。でも長野の故郷が、トヨタの下請けの下請けが密集してるような町で、学校からの帰り道には汚らしいバネ工場がいくつかあった。工業高校が近くにあり、公立中学で入試得点500満点中200点ぐらいのやつらがそこに入学し、そのまま就職していった。彼らは基本馬鹿で短気で単純で、僕は大嫌いだったので、彼らの監督をするような仕事には就きたくないと思った。メーカーとかは避けた。だから工場地帯はいまでも苦手だ。

だけどもゴジラは煙のあがるコンビナートの間を、横断していった。

 

 

東京駅へ。大学生のとき、夜行バスに乗って、東京駅の前で降りたのは5時過ぎだったと思う。どこもあいてなく、バス内でかいた汗を流すべくサウナなんかに入って、これって前日入りしてホテル泊まってもあまり変わんないんじゃね?とか思う。眠い頭でいくつか会社を訪問して、なにやってんだろうなぁ俺とか思って、鬱になったりもした。そしてゴジラは、東京駅前、夜中に発光し、苦しそうに黒い煙のようなものを吐いたと思いきや、そのまま美しい光線で、911の飛行機のように、摩天楼を破壊して行った。そしてもちろん最後にはそこで冷凍された。

 

僕にとってこれらは分断された記憶だ。それぞれの記憶の共有者は何人かいるけれど、このつぎはぎを不連続に覚えているのは僕だけだ。そこには楽しかったこと、つらかったこととかあるんだけど、なにより、それぞれの街の背景にある、由来のわからない闇のようなものが僕はなによりも怖かった。人間が生息することによって生じてしまう、非人間的な何かが確かにそこにはあった。それは僕の鬱にもつながっていった。

 

ゴジラの横断や破壊が僕にとってのテロ行為である、という話ではない。でもそれらの町をゴジラが横断すれば、すべての闇はゴジラに回収される。ぼくにとってそれが爽快だったのかもしれない。いかんせん、2度目の上陸時は、ほんとに泣きそうだったのだ。