Just a memory.

ただの記録

shame


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会社送迎会。めずらしくぐでんぐでんになり、何回も吐いて、苦しい記憶しかない。千鳥足で家まで歩き、便所でまた吐いて、かろうじでコンタクトをはずし、布団にもぐりこむ・・・意識はかなたへ。

 

朝起き、そこまで体調がおかしくないことに気づき、友達に電話をかける。本当は昨日婚活にいく予定だったのだが、送迎会で流れてしまったので、埋め合わせを。N市まで行き、オープンしたての中華料理、4Dキングコング成田山、パチンコ、しゃぶしゃぶ、温泉。すっきりしたいい一日であった。また、帰り際にF氏とS氏が一緒に帰ってるところを目撃。気に入ってる女の子が別の男といっしょにいる風景。僕は報復をしなければならない。聡明で、ユーモラスで、体型をかっこいいものにしなければならない。絶対に他の男よりいい男にならなけばならないのだ。「ヒストリエ」新刊を発見したので、買って読む。

 

翌日は早速走る。きょうじょのほうまで登る。家に帰りあまりもの、卵とジャガイモでポテトサラダを。ヨドバシに移動。喫茶店を梯子し、ドストエフスキー地下室の手記」を読む。あまり頭に入ってこなかったが、聡明になるために、がんばって読むのだった。悩んだ結果その日の婚活パーティに登録。ペンを買って地下へ潜入すると、しきりのない一空間に椅子が何個か置かれていて、「寄生獣」のワンシーンを思い出したのだった。ぎりぎりにいったのでシートもろくに書かず、スタート。かわるがわる女と似たような話をしていくのだが、あまりに記憶に残らないのだった。ひとりタイプの顔の子がいたけど、うまくつかめず、残念だった。結局2番目に書いたいけるのではないかと思われる女の子とカップリングしてしまい、一昨日飲んだくれたことを神棚の上に置き、居酒屋に行くのだった。翌日仕事といっていたので、あまり無理はせず、外で手をつないで顔近づけて、ぐらいで見送り終了。家に帰るとSNSで会わないかという提案が通ってたので、明日のアポをとり、眠る。

 

翌日、河原町へ。カフェ3階で待ち合わせ。若い女だった。街を歩くとウインドウに並んでいるものすべてに関心を持ち、ひとことコメントをつけては次の瞬間忘れていった。餅、ランチ、猫カフェの順番に回っていき、時間があるからと家に帰っていった。1500円、2000円、2000円なり。考えた末、そのまま京阪→叡電、鞍馬へ。木々は鮮やかに緑をなし・・・くしゃみ。radwimpsを聞きながら、貴船神社まで抜ける。途中女性に話しかけるチャンスが2回はあった(話しかけなかった)。烏丸にて、映画を2本借り、買い物を済ませ、家に。洗濯物を干しながら「shame」鑑賞。セックス依存症の男の話。昨日と今日のこともあり、すこしシンクロする。男は人間であろうとするならば、狂うしかないのではないか。

 

数年前、横浜で会った女と似ていた。飲み屋のあとみなとみらいまで歩き、海沿いのコンクリートに寝そべってキスをした。ホテルに誘ったけれどうんといわず、朝が来て始発で帰ろうとするとなぜか藤沢まで着いてくるのだった。地面ごろごろしていたせいで着衣は汚れていたが、いっこうに気にしてない様子だった。自分の家でやろうとしたけど、無理といわれて結局何もしなかった。えらいと言われ、失笑したのを覚えてる。鉄板焼きを食べ、大船まで送り、そのあと・・・そう、ひとりドライブ最中、たまたま通りかかった134号線、サザンビーチの通りで、桑田さんの生歌。僕は幸せだったのだ。

 

着衣の乱れを気にせず、自分の好きなものにまっすぐであること。屈託無く笑うこと。典型的なビッチである。だがひとりのビッチを前にするととてつもなく混乱する。相手にとって自分が特別でないことがあまりに自明であるのにも関わらず、笑顔を向けてくる。その恐怖と幸福。そして相手を自分のものにしたいという欲望。婚活であった女なんて目じゃない。自分にほれる女は、自分にとって何の価値もない。ビッチがもたらす二律背反、それが僕にとって意義のある感情なんだ。

しゃべり始めたとたんガキはくだらなくなる

労働はしょうもない。なぜなら、すべての人間・企業・法人団体等はクズでしかないのに権利を主張するからだ。言葉を持ってしまったことは人類の失敗だ。習得したことについて披露したくなってしまうという人間の特性がある。つまり言葉を覚えた人間は何か言いたくなってしまうのだ。おまけに、自分にその発言をする権利があると思い込んでいる。勘違い甚だしい。脳ある鷹は爪を隠すのだ、本当に。

 

そして愚かしい僕が書くのだが、ともかく、飛び込んできた案件について、右往左往しながらでもそれを引き受けようとする人間について、たとえスマートじゃなくても、評価すべきなのだ。女はスマートに仕事をこなすかどうかで人を判断するから、余計な存在だと思う。長期的な視点が足りない。ゲイじゃないけど、本気で女が嫌いになりつつある。彼女たちにとって、公正であろうと努力する人間、正義に殉じる人間こそが嫌悪の対象なのだ。そして僕は彼女たちがたまたま何かやってくれたときに、露骨に感謝の言葉を述べるだろう。彼女たちが何も言わないとしても。

 

 

それにしても、自分がしゃべってしまうことに嫌悪感を感じない人間って、いったいどういう神経してるんだろ。人間じゃないんじゃないか。死んでもそれは死じゃない。ただの廃棄だ。僕の正しさをわかってほしい。

かたくちいわし

セックスに持ち込めなかった。残念だ。飲み→カラオケ→ホテルの流れが自然なんだが、最初の→で失敗。さっさと帰ってしまった。僕がやることしか考えてないことを見抜いたのかもしれない。勘のいい女だ。しかし僕も大人になったもので、やれないならやれないで特に問題なかった。パチンコいって、2万ほど勝った。どや。

 

家に帰ってfacebookを見てたら僕がやるためだけに一ヶ月ほどつきあった女が「交際中」になっていた。相手はS大学。なんともおかしい。なんともおかしいと思いませんか?

また、神奈川県の高校入試問題を見ていたら、社会の問題でうちから画像引っ張ってきたものがいくつかあった。これもまたなんともおかしい。滑稽滑稽。投手が投げたボールが地球を一周まわってきて、軽蔑してるサードコーチャーの頭にこつんと当たったような感じ。

 

AVでもみよ・・・

水曜日の晩に発熱。39℃ちょい越え。翌朝半休をとって町医者にいき、インフルエンザじゃないことを証明、薬を貰う。午後出社。その晩は40℃まで上昇し、朦朧としながら夢と現実をいききしていた。翌日38℃をきったんので出社したが、その晩また39℃までぶりかえす。つまり・・・なかなか下がってくれないのだ。

 

会社にいて電話の音をきくと、なんだか別世界に案内されたような気分になる。別世界旅行にはエネルギーが必要で、そのたびごとにしんどさを感じながら、新人なので電話には全部出た。まあ前の職場で39℃ありながら授業やってたときにくらべれば、マシかもしれない。

 

今回の懸念は長引いていること。もうすぐまるまる3日になるが、38度をなかなか下回らない(現在38℃)。夜になると39℃まであがる。しんどいっす、あはは。

 

こまめに水分をとってる。もうすぐポカリは2リットル飲みきる。口内炎ができてるような気もするが良質な水分補給が優先される。「脳炎」「肺炎」「インフルエンザ」といった単語群をネットで調べ、その概要を理解する。まあそんなことできてる時点でたいしたことないのかもしれないが。

 

 

土曜日はデートの予定だったが、断るつもりだ。好きなわけじゃないから問題があるわけじゃない。申し訳ないという気持ちはある。しかし僕はしんどいのだ。会社にはいっていますが。

あるいは余計な女の子には手を出さず、がんばって本命を探せという教示なのかもしれない。それならばよくわかる話だ。出会い系サイトをやって婚活パーティに出ればよい。論理的帰結!

 

 

すべてはくだらないと思う。なにかにこだわってる人間が全部クソに見える。現在職場はあまりに意味の無い会話が飛び交っていて、ややしんどいきらいはある。っと、これ以上は書くまい。人間は花の美しさ以外について語るべきではないのだ(そういう職場があれば本当に先鋭的で最高だと思う)。

 

それにしてももち5個食ったのはさすがにまずかっただろうか。僕はもう炭水化物の王子だ。緑黄色野菜食べたいっす。ルルでも飲もう。

 

長い間私は詩を書いていた。そのために頭が狂ったぐらいだ。けれどももっと頭のおかしなひとはある。ちょっぴりおとなしい工学博士だ。芸術工学だ。そのものが音の無い水車を眺めているとき、私はすでに甘美な蒙昧の中にある。月よりも明るいいらだちが辺りを覆うその時、私たちは口づけを交わすのだろう。

ポストモダンを生きるために

なにかひとつに魅了されたからといってそれで誰かと繋がれると思ってはいけない。むしろ逆だ。なにかについていいと評価した結果、周りの人間は興ざめして君に関心を持たなくなる。もし持ってもらえてたとしたら、君は若い女であるか、よっぽど恵まれているか、勘違い野郎か、それだけである。


何かを好きになってはいけないといってるわけじゃない。それが連帯の可能性を生まないことを前提として社会を生きよということだ。魅了されたらば救済されるべくは自分だけである。自分の好きなものを他人にもいいといってもらいたいとき、対象と自分との関係の間に、不純な思いが紛れ込んでしまっている。要は寂しいのは自分であり、他人の承認によってそれは満たされるということなのだ。ストイックに生きよ。信仰を人に勧めてはいけない。君は勝手に祈らなければいけないのだ。

この世界の片隅に

1年前はO市にいた。事件のおこる少し前だ。それを思うと僕はまた用心しなければいけないなと感じる。昨日のミスもいただけないものだった。

 

昨年度は引越しが多かった。神奈川には5ヶ月、神戸3ヶ月、芦屋3ヶ月そして京都。京都市内は大変住み心地が悪い。観光客にともない交通機関は混雑し、お店はどこもおみやげ物屋で、スーパーもレンタルビデオ屋も少ない。それでも今が一番安定している。人生は不思議だ。涙が出そうになる。

 

よく子供と話していた。中学生と話すのは面白い。だんだんそう感じるようになっていた。使命を持たないところがいい。なにより屈託の無い笑い方をする。

特にあの校舎には2年いたから、そのぶん思い入れがあったのかもしれない。100人を前に演説をしたこともある。彼らが僕や僕が関わっている社会と無縁に人生を送ることを望む。それだけだ。

 

事件があり、退職を決意し、就業後上司2人と2時間缶詰で話し、結局やめた。ごだごだもあったが、思い出したくないことである。A市に変わり、新しい上司と組んで、新しい生徒と仲良くなって電話もしまくってクソみたいにいい数字を出した。信頼も作れていた。やめると決めたあとにこうなる。人生は不思議だ。

3月4月に遊びに行った記憶はほとんどない。休みの日もよく働いていた。どうでもいいんだけど、KさんとSさんってなんか似てる。事務と人形。まあ働いて働いて、数字も出して、そんで辞めたのだ。すっきりだ。いろいろ言われたけど、最後数字に関して文句は言わせない。ボーナスにも何にもつながらない。ただの意地だ。

A市にいた2ヶ月は悪いのもではなかった。一度親が遊びにきたっけ。酒を飲んだ覚えがある。

 

 

長野へ戻る。何もしない日々が続く。いや、僕は転職のためエントリーシートを書いていたんだ。仕事で身につくものなんてありはしない。そんなことわかっているけど、でっちあげて前職のがんばりを記し、アピールを書いた。それはのちのちの面接につながっていくわけだが、陰鬱になりながらも、日々僕は飯を食って生きた。あと六本木のバーで8万ぼったくられたりもした。あの女許せん。

 

神奈川には5月いっぱいいたから、確か2社ほど面接にいったのだった。池袋と渋谷にいったのだ。池袋と渋谷だぜw 1つは内定をもらった。ネット広告の会社だった。でも辞退した。2回前の会社のひとと飲みにいった。もうしゃべりたくなかったし、語ることなんて何も無かった。でも感謝をし、ひたすらすんませんといった。最低の人間。

 

神戸へ。シェアハウス。仮に僕が80歳まで生きたとして、神戸に住んでいたことを思い出すことがあるのだろうか。3ヶ月の間にバイトを探し、授業をやりながら(といってもほとんどしてなかった)、パチンコを打ち(よくいった)、公務員試験の勉強をした。出口調査なんかもやったっけ。バイトの面接は1、2、3・・・4。そういや京都にも行ったっけ。派遣で授業に入り、神戸、芦屋、宝塚、河内長野和泉砂川とかに行った。果てしなく遠い記憶だ。交換可能な機械であること。状況によって人はまったくもって目立たない没個性的な存在になる。そのなかでたくましく生き抜くこと。一度権威を得た人間に僕は関心が無い。ある状況下において、人間は本当にどうなってしまうかわからない。そこには本物の自由と実存と混乱がある。僕が興味あるのはそれだ。

 

一度愛知でビールを飲んだこともある。金沢で「さようなら」を見たこともある。比叡山にも行ったし、37歳の女性をカラオケ屋で押し倒したこともある。何をしても物足りなく感じていた。

 

差し押さえ事件があり、芦屋へ。その間S市の試験を受け、最終まで行ったけど補欠だった。最終試験の翌日、別の試験があって、僕はまったくやる気が無かった。試験場は山の上で、駅からのバスは混んでいるし、集合時間30分前にして歩いていくことを決意した。間に合わなければそれはそれでかまわない。結果的にその試験に受かったことをきっかけに、2社ほど受け、1つにとった。自慢じゃないが狭き門だ。そんなとこふつうとおるか?と自分でも思った。

 

大和郡山にも受けたりした。あれは雨の日。その後奈良公園にいったんじゃなかったっけ。物語は錯綜する。

 

やる気が無かった9月、ハロワにいき、仕事を紹介してもらって、すぐ決まった。就職と同時に次の内定先が決まって、心苦しい思いもした。そのころからよく走り、映画も見た。筋トレもした。部屋が広いというのはすばらしいことなのだ。何度か山にも登った。よく姉姪と飯を食べに行った。有馬温泉まで歩いたりもした。

 

ここで書いていないこともある。この世界に片隅にあって、物語になることも語られることもないだろう僕の人生。すべては流れ去り忘却されるだろうし、また僕も忘却の第一人者になったりもする。

 

 

すみは・・・すみは、右腕とともに義姉の娘が消えてしまい、そしてそれらは全体ではなく一部であり象徴でありながら、本物として夢を見せる力を持っていて、であるがゆえに、戦争という夢にすがってしまいたくもなり、玉音放送で怒り狂う。

 

しかし、夢を見せる力をもった小さきもの、はかなく脆弱であるもの、僕はそれらに犯され狂い続ける。生きる力を得るのだ。