小田和正に対する複雑な感情より
京都に引越してきてもうすぐ1ヶ月が経とうとしている。また、その前いたところも結局ネットをつなげることなく、シェアハウス以来だから、約4ヶ月弱ぶりに自宅でネット環境が整った。
その間に転職が決まり、精神的な落ち着きも取り戻し、そして転職し、けしていいとはいえないかもしれないがまあまあなところでまあまあな感じで仕事をすることになった。決して給料は高くないけど、シェアハウス時のように不安定ではなく、今となってはもう忘却しそうではあるけれど、経済的保障がいかに大事であるかについて身をもって学ぶこととなった。
ほしいものはある。このパソコン画面は揺れ、キーボードも反応しないものが多い(現在外部取り付けを使っている)。靴がほしいし、テレビ台や、地面に置いている炊飯器もなんとかしたい。ピアノがほしいし、料理を勉強したい。欲望が途切れることはないけれど、欲望をもっていること自体が救いであり、それは今のまま順調にお金をためていけば可能であるということが、僕に心の安寧をもたらす。
苦労とは・・・苦労とは?苦労とは精神状態だ。同じ経験をしても、もたらされる精神状態は人によって違う。だから人に接するときはそのことを最大限に配慮しなければいけないし、自分自身の苦労についても、自分が違う存在であったとしたら感じないものだったかもしれないことを想像しなければいけない。
小田和正は、「それはずっと 出会った日から 君を愛してる ということ」一人の女をずっと愛している、ということを歌い続ける。なぜ同じことをテーマにそれだけ歌詞が書けるのか、僕には謎だ。しかもええおっさんや。しかしなぜ今日は聞いてしまうのだ!
知性
自分が正しくこの世界にあるためには、真っ直ぐ知性を伸ばすしか方法はない。強くそう信じる。
なにをどこまで「あえて」行うのか、裁量は本人に任される。であるがゆえ、自分のある行為があえてなのかそうでないのかについて、多くの他人は誤解するだろう。大きな歴史が誤解をとくかもしれないし、誤解され続けるかもしれない。後者の場合、待ち受けるのは孤独でしかない。
後者が約束されていたとき、自分を救ってくれるのは知性だ。時としてそれは詩であり自然であり心臓であり涙である。
今日は深い眠りにつきたい。
健忘
太ること。腹が減ったら機嫌が悪くなるのは健全だ。
うまいものをちゃんと食う。外食産業は不味すぎる。自分で作るしかない。
イケメン、知性的、背が高い、マッチョ、仕事できる、ドライ、ぼっち、あえて
恋をしたのは
今までに2回だけ。高校と大学で一回ずつ。相手のことはほとんど知らない。しゃべってすらいない。ひとりは名前すら知らない。でも一目で好きになった。
総じて、黒髪でおとなしそうである。でもシニカルなところを感じさせる。そういうのがタイプだ。社会人になってからは、女の子も仕事に精一杯で、シニカルに見えなくなってしまうから、好きになったことはない。セックスの経験人数だけが増える。
2人の女の子の幻想は美化される。まだ美しいと信じてる。僕は男を磨く。キャリアをつみ、仕事ができるようになること、運動もきちんとやって若さを保つこと。ストレスを貯めすぎないこと。
ふたりとも、僕の目にはくだらないとしか思えない男に言い寄られ、つきあっていた。だから僕は復讐しなければいけないのだ。人間は復讐に人生を捧げることができる。愛は美しく憎しみに転じる。
本を読むこと。誰よりも知性的であらねばならない。健康であること。