Just a memory.

ただの記録

AIDSもどき


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会社の血液検査でC3、再検査が出た。項目は白血球数だ。やばい、AIDSだと思った。身に覚えがある。いや、正直に言ってしまえば、心当たりのオンパレードである。再就職が決まった矢先にこれだ。また迷惑をかけてしまう。すぐ死ぬのなら話は早いが、AIDSは長引きそうで嫌だ。そんなことを考えた。

 

 

結果をもらったその日にもっかい医者に行き、再検査してもらった。白血球数4600ほど、異常なし。人騒がせなやつだ。

 

むしろ肝機能とか、痩せすぎのほうが気になんのよね。いちお今は59キロ弱まで増量はしたけど。(1カ月で2キロ増量はまともやもしれん

いつか時計台で

月の夜に泣いていた。葉桜が音をたてた。水面が揺れていた。

悲しいわけじゃなかった。人間であることを忘れてしまった。脳細胞の劣化による、ただの健忘だった。氷がグラスのなかで静かに鳴った。

 

いつか時計台の下でと君は言う。僕が時計台についての短い詩をノートに残していたのを、いつか見つけたのだろう。そしてあれはまだ夏が始まるまえ、みなとみらいの埋立地のことで、街路樹も空虚に並列していた、静かな大通りで。

 

この世界で生きながらえる小さな感情のためだけに僕は祈り続ける。漏斗状に凹んだ胸板に手をあて、膝をつき頭を垂れ、最後に目をつむる。でも音のない瞑想は時間の限界を言語によって論破する。そしてまるで意味をなさないようなーー草や木や車の排ガスまでがー化学言語となって僕の前に立ちはだかる。

 

でもまだ、あきらめきれない。もう一度深い祈りを。ねえ、届いているだろうか?

これで自慰をしなかったら

朝7時に起き、顔を洗ってスーツを着て、満員電車にのって会社にいく。よく働き、昼はベトナム料理屋で700円ランチ、パクチーもちゃんと食べる。定時で退社すると、着信が残っていたので電話を折り返す。家に戻って健康診断にかけこんで、買い物をして簡単パスタを食べる。すこし本を読むつもり。

 

これで自慰をしなかったら、西暦2016年の清き正しい労働者の1日として、西暦2500年ぐらいのどこかの国の博覧会に展示できるだろう

気になって仕方ない

特定の女のことばかり考えてしまう。気づけばSNSでその相手だけをマメにチェックしてる。検索履歴がやばいことになってる。ストーカーであるという自覚があるし、キモイと思うけど辞められない。

 

 

一度や二度じゃない。何人かの女に、同じように検索をしたことがある。気になって仕方ないのだ。

 

 

しかし、対象となる女のことをほとんど知らないのである。相手に興味をもってしまうのは、少ない情報から自分の理想が作られるからだ。頭の中の幻想が豊か過ぎるのだ。だから何かのきっかけでお近づきにになり、相手のことをより知ってしまうと、幻滅してしまうかもしれない。幻想は幻想として保存しておいたほうがお互いにとって幸せなんだ。

10月の寒き日に

wiiを買って、ひたすらバイオハザードをやりまくった。頭が痛くなったから、今日は山に登って、もう寒くなりかけている秋の空気を吸った。近場の銭湯に行き、気持ちよかったけどぬるかったので長時間はいった。

 

 

報告はだいたいLINEで済ませた。この数ヶ月お世話になった人たちに。facebookでアップすることもしなかった。煙たがられるかもしれないけど、それが自分なりの感謝のつもりなのだ。プロテスタント的で単独者めいた自分だけれど、コミュニケーション無しに生きていけない。溜めてしまう悪いモノをどこかへ流すことができる。

 

この世界を形作っているのは、写真や記録には残っていないものだ。


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聲の形

シン・ゴジラ」、「君の名は」と違って、叩くにしろ評価するにしろ「まずみなさい!」というものではなかった。途中で退席を考えた。

 

「かわいい障害者」が自分のコミュニティに一人いると冴えるって話。