Just a memory.

ただの記録

貧困

出張で東京なう。最近はホテルとるときはダブルでとり、いつでも連れ込めるようにしているのだが、乗り気にならずナンパはせずじまい。昔は渋谷でうまくやったもんだが、寄る年波には勝てないのかもしれない。そういえば先週セフレと1ヶ月ぶりにやったのだが、やはり私はいまはやりの射精後は女の子に冷たくなっちゃう系男子だから、ベッドの中での出任せの口説き文句一転、翌日の別れ際なんぞはわりかしつっけんどんなのである。女に文句言われた。

 

マンコを舐めてると私はマンコを求めてセックスをしてるわけではないとつくづく感じる。僕は女にいってほしいのだ。マンコはトリガーに過ぎない。私はセックスにおける高度な精神性を認める。そういえばその女、彼氏いるらしいのだが、彼氏以外でいったのは俺が初めてだといっていた。うれしい限りだ。巨漢功を奏するとはまさにこのこと。インポにはこの栄誉はわからないだろう。しかし私は、いいかげんなセックスをし過ぎではないだろうか。

しあわせのかけら

そんなに頭がいいわけではないが、一定の抽象度をもつ本を読むことができる。僕が読める本で他人には読めない本があることを知っていて(もちろんその逆もあるが)、だから他人に薦めることももうしないけれど、その存在によって多少なりとも自分の人生が報われるのであれば、それは純度の高い幸せなのだ。

true tears~世界革命戦争の前夜に~

true tears の登場人物のほとんどは最低である。乃絵はメンヘラだし、比呂美は性格悪い根暗だし、眞一郎に至っては地主のおぼっちゃんのくせに女に対しておせっかいで絵本とか書いちゃってる痛いクズである。

 

それと同時にこのアニメは僕が一番好きな作品であり、つらいとき何度も見返しては勇気付けられてきた。僕が好きなのは、子供時代の夏休み、比呂美が地面に座り込み、泣きながら眞一郎の浴衣の袖を掴んで離さないシーンだ。このシーン、比呂美がかわいくなかったら、あっという間に笑劇に変貌する。もちろんすべての恋愛モノはかわいい→不細工に変わればファルスと化す。でもこのシーンはそれがとてもシリアスにつきつけられるのだ。理由はわからない。でもそれが好きだ。

わたしはエイズ

とうごう とうごう とうごうしっちょう進行中

とうごう とうごうしっちょう サバイバル

 

くびつり くびつりにんげん sing a song

案ずることはない きみは くびつりにんげん

 

わたし わたしはエイズ

そしてかなしき わたしはエイズ

時計の針が逆周しても わかんない

 

おっぱい たこのおっぱい 乳首吸盤

おっぱい たこのおっぱい 乳首吸盤

乳首に吸われた 吸いたかったのに

おかげでエイズ そう、わたしはエイズ

 

ねえ もういちど 愛が許されるなら

しらないふりをして きみのことを想っていいか

扇風機しかないこの部屋で

そう、きみのことを

日記

月曜の晩にふらっと街に出て、酒を飲んでしまった。鴨川沿いで1人お酒を飲んでいた女性に声をかけて、1軒飲み屋に入ってそのまま持ち帰った。生理とかクラミジアとかブラックワードが飛び交っていたが、3回やってしまい、翌日はひたすら眠った(お昼ぐらいに女は帰った)。夕方ぐらいに起きて、ろくにご飯を食べていないこと、この前親に痩せたことを心配されたことを思い出したが、フラグラ?に牛乳をかけたものを食べてそれで済ませてしまった。図書館に行き、前に別の女に進められた本と、バロウズを借りた。三条のサンマルクカフェでコーヒーを飲みながら、本を読んだ。

 

京都に来て月1のペースで女を家に連れ込み、その後はよく眠り賢者モードとなってコーヒーと読書と物思いにふける。僕は退屈な男だ。

 

そしてこんな夢。男数人と女数人が同じ部屋で眠る。暗闇の中、僕の二つとなりで、僕の職場の上司が冷酷なまでに機械的に女とセックスをしている。眠りの中で寝たふりをする僕。上司に対する嫉妬、自分に対する嫌悪、あるいは上司は限りなく自分であるかもしれないという謎の矛盾。

 

しばらく仕事やすみたいです笑

時間のないホテル

いかに自分を納得させられるかが重要だ。ひたすらテトリスをやり続けることによってなのか、女とやりまくることによってなのか、人それぞれではあるだろうが、確かにいえることは、それを行い多少なりとも腑に落ちることになるのであれば、思う存分それは追求すべきであるということだ。少なくとも腑に落ちないまま結婚してはいけない。いろいろな異性とやればいいし、自分にとっての相手の交換可能性、その逆も然り、人間に対するあきらめと自分自身に対する絶望を感じ、カオスに巻き込まれた後、その腑に落ちる瞬間がくればそれにまさる幸せは無いのだ。

 

すべての人にいい顔して生きていけると思うな。そんな人間はクズである。自分の幸せや好きになった人間の正しい幸せや、社会の中における公平性、それらを鑑みたとき、ときとして他人から嫌われざるをえないときもある。恐れてはいけない。信念ではない。公平性とはもっと事務的なものだ。僕は苛立っているのだ。